明日葉にまつわるエピソードが残っているのは日本国内だけではありません。
なんと、あの秦の始皇帝の臣下・徐福も明日葉を「不老不死の霊薬」として探し求めていたといわれているのです。
始皇帝と徐福
明日葉にまつわる最古の伝承は、秦の始皇帝の物語です。始皇帝は中国最初の統一者で、万里の長城を築かせたことはあまりにも有名な話ですが、政治・経済・文化といった幅広い分野で優れた功績を残した偉大な皇帝です。
そんな始皇帝の臣下に徐福という神仙の術を修めた人物がいました。徐福はある霊薬を服用すれば死なないという不死説を始皇帝に吹き込みます。そして始皇帝の不老不死の望みを叶えるため、千人の童男・童女をもらい受け、その霊薬を求めて海の果ての神山へと船出しました。
神山は渤海湾のはるか彼方に浮かぶ蓬莱の国にあるとされ、徐福一行は東へ東へと航海を続けましたが、そのまま再び中国には戻らなかったといわれています。
徐福の唱えた不死説が嘘であったと分かった始皇帝は、方士(神仙の術を修めた者で、道士ともいう)たちとその関係者460余人を捕らえ、穴埋めにしました。
ここまでは中国最初の歴史家司馬遷が著した「史記」に記されている物語です。
徐福のその後
この「史記」の記述に付け加えられた明日葉のエピソードが、日本に古くから伝わっています。
史記によると、徐福一行は東方の洋上の藻屑となって消えたことになっていますが、実は黒潮の本流に乗って漂流を続け、紀州の新宮に漂着したといいます。
しかしそこには求めている不老不死の霊薬はなく、徐福はやむなくこの地に住み着き、土地の人々に農業や製紙の方法、捕鯨の術などを伝授して没しました。したがって、今でも新宮では徐福を先覚者として尊敬しており、市の中央部にはのちの時代に建てられた徐福のお墓もあります。
探し求めた霊薬、それが明日葉
徐福の伝説にはまだ続きがあります。それは、徐福が探し求めた不老不死の霊薬こそが明日葉だというものです。
この霊薬は黒潮の本流が洗う八丈島の周辺に自生しており、東方の海上に浮かぶ蓬莱の神山というのが八丈島のことであったというのです。
史記から派生したこの伝承はどこまでが真実でどこからが創作なのかわかりませんが、それなりの理由や根拠がなければ語り継がれなかったでしょう。したがって、このエピソードは明日葉を食べて健やかに暮らしている島民の生活の実感が生み育てて伝承されてきたものと考えるのが最もしっくりきます。
伝承の真偽はともかく、八丈島の島民のみに限らず、秦の時代の徐福も噂に聞く不老不死の霊薬というのが明日葉のことに違いないと考えたということは、明日葉の強い生命力やその効能がいかに一目見てそう思わせるだけの説得力を持っていたかということでもあるかもしれません。