明日葉の原産地である八丈島には、明日葉にまつわる言い伝えがたくさん残っています。
今回は、それらの一部をご紹介します。
明日葉にまつわる言い伝え
- 明日葉を食べていると疱瘡にかからない
- 明日葉を食べていると乳の出がよくなる
- 化膿した皮膚に明日葉の黄汁を塗ると治る
- イラガの幼虫やチャドクガの幼虫に刺されたときに明日葉の煮汁を塗ると痛み・かゆみが消える
- ヒヤシメ(アリの一種)に噛まれると起こる痛痒さや患部のジクジクが、明日葉の汁を塗ると改善される
- 明日葉を食べていると胃の調子がよい
- 明日葉の黄汁は水虫に効く
- 明日葉の黄汁が入った水を浴用に使うと皮膚アレルギーが治る
- 酒を飲む前に明日葉を食べると悪酔いしない
- 明日葉を食べると精力がつく
- 明日葉を食べているとがんにならない
これでもごく一部だそうです。
牛も明日葉を食べている!?
上記はあくまでも言い伝えであり、すべて実証されているとは言い切れませんが、これらの言い伝えが残るほど明日葉が八丈島の人々の暮らしに寄り添ってきたことは確かです。
実際、「明日葉を食べていると乳の出がよくなる」という言い伝え通り、出産間近の女性や授乳中の女性は明日葉をよく食べたといわれています。
昔から乳牛の島として知られる八丈島では、牛の飼料としても明日葉が栽培されています。冬でも青々とした葉をつけるため、牧草として最適だったのです。そして、明日葉を食べて育った牛もまた乳の出がよいといわれています。戦争の被害を受けなかった八丈島には、戦後まもなくの頃、1日75リットルもの乳を搾れる牛がいて、当時の世界一の記録であったそうです。
さらに、皮膚病や怪我、虫刺されなどは、明日葉を切ったときににじみ出る黄色い汁を塗って治していました。
このように、明日葉は食用のみにとどまらず、民間薬としてもさまざまな用途で使われてきたのです。
明日葉の言い伝えが残った背景とは?
明日葉にまつわる言い伝えが残った理由のひとつとして、八丈島がかつて流人の島であったことも挙げられるでしょう。流刑に処された高貴な身分の人や知識人が住み着いたことから、島の暮らしを記したものが多く残っており、明日葉についても言及されているのです。
例えば、保元の乱(1156年)で伊豆大島に流罪となった際、島づたいに南下して八丈島に渡ったとされる平安時代の武将・源為朝は、島でこんな歌を詠んでいます。
「われなくも 行く末守れあしたぐさ はもする人のあらんかぎりは」
(たとえ私がこの島を去っても、明日葉を食べている限り、島の人々はいつまでも元気でいてくれるだろう)
また、徳川幕府の命を受けて八丈島の視察を行なった役人が、島の生活を明日葉に重ねて詠んだ、
「島人の いのちのたねのあしたぐさ 朝な夕なに煙立つなり」
という歌もあります。
いずれも明日葉が当時の島民にとって大切な食料であったことがうかがえる歌です。
明日葉にまつわる言い伝えはすべて実証がされているというわけではありません。しかし現在までずっと伝承されているということは、先人の記録や知識・経験などが実感として八丈島の人々の生活に浸透し続けてきたからなのかもしれません。